諦められない日本の風潮
日本では特に、忍耐強くあれとか、つらい環境でも辛抱強くいることが好ましいという風潮があるように思います。
でも、それって本当に正しいことなのでしょうか?
新卒で就職した病院を辞めたとき、私はこの本を読んで、辞めることは悪いことじゃないんだ!と思えて、前進できました。
共感できる部分や、自分らしく生きたい!と思う人の背中を押してくれる言葉に響いたので、気になった部分を抜粋します。
抜粋
日本人はとくに、どんな不条理な条件に置かれても、不断の努力によってそれを克服し、頂点に上り詰めた成功者のストーリーを好む傾向がある
最高の戦略は努力が娯楽化することである。そこには苦しみやつらさという感覚はなく、純粋な楽しさがある。苦しくなければ成長できないなんてことはない。人生は楽しんでいい、そして楽しみながら成長すること自体が成功への近道なのだ
あくまでも、「手段は諦めていいけれども、目的を諦めてはいけない」
負ける戦いはしない代わりに、一番になる戦いはやめないということだ。「どうせ私はだめだから」と、勝負する前から努力することまで放棄するのは、単なる「逃げ」である
そもそも、自分は何がしたいのか。自分の思いの原点にあるものを深く掘り下げていくと、目的に向かう道が無数に見えてくる。道は一つではないが、一つしか選べない
日本人は「せっかくここまでやったんだから」という考え方に縛られる傾向がある
やめる決断をするときには、誰もがその後の人生を考えて不安に苛まれる。その不安が、決断にブレーキをかけることもある。このときに、自分の人生の横に走っている「別の人生」の存在を日ごろから意識しているか否かで、気持ちの持ちようがかなり変わってくる
実際、競技人生を振り返って、自分の自信の核になっているのは勝ったことではなく、負けを受け入れ、そこから立ち直ったこと、勝負に負けたことくらいで傷つかなくなったことである。人生は長く勝負は無数にある
自分という存在のままこのフィールドで勝てるのか。それとも、もっと楽に勝てるフィールドが別にあるのか。僕はこう考えて、勝負する競技を思い切って変えた
自分なりの軸を強く持った人は、仮に社会的な評価が高かったとしても、自分の感覚を信じる
「たかが仕事じゃないか」 「たかが就活じゃないか」 そんな気持ちでいられれば、結果を気にして萎縮することなく、全力を出すことができるのだ。意味と価値が過剰に求められる現代だからこそ「たかが」「あえて」というスタンスで臨むほうが生きやすいのではないだろうか